覚悟の磨き方
覚悟の磨き方
今ここで海を渡ることが禁じられているのは、たかだか江戸の250年前の常識に過ぎない。
よく行動する人は知識は必要最低限でいいと考える。なぜなら実際に動く前に、わかることなんてほとんどないことを知っているからだ。だからよく失敗する。だがそれで順調だと考える。
小さくても、「一歩踏み出すという行為を続けていれば、「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に集めてくる。
行動につながらない学問は無意味だ!
大切なのは、不安をなくすことではない。いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか。そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を、休むことなく生み続けることなのである。
結果じゃない
大事なことは、なにをどう手に入れるかではなく、どんな気持ちを感じたいかなのです。
やり切るまで手を離すな
たいていの人はまだ序の口で、いよいよこれから本番だというときに、自分の田んぼを放置して、人の田んぼの雑草を取りだがるのです。人の田んぼの雑草を取るというのなら、まだいい方かもしれません。1番多いのは、人が懸命に草を取っている姿を傍観して、その取り方がいいとか悪いとから批判ばかりしている人です。まずは自分が今いるところからはじめましょう。人生の喜びを十分に味わうために。
本当に幸せな人
どれだけ貧しくても、厳しい状況に置かれていても、いつもゆったりした雰囲気でいて、決して他人を責めたり、自分の運を呪わない心です。
懇願
お願いです。本当にお願いですから。たった一回負けたぐらいで、やめないですください。
後ろを見ない
ミスをして落ち込む暇があったら、ただちに「次はこうする」と決めて、新しい仕事に取りかかりましょう。若ければいくらやり直したって、たいした問題にはなりませんから。
逆境に礼を言う
鉄は何度も熱い火の中に入れられて、何度も固い金槌で叩かれて、初めて名剣に仕上がる。素晴らしい人生の送り方もよく似ています。何度も繰り返されるきわめて不都合で、ありがたくない経験の数々が、旅路を美しく輝かせてくれるのです。
自分はどうあるべきか
反求諸己…すべての問題の根本は自分の中にある
計画がうまくはかどらず悩んだ時は、外部に答えを求めるのだはなく、「まず自分はどうあるべきか」考えましょう。
流れを変えるのは自分の行動
幸運とか不運というものは、天から無差別に降ってくるものではなく、すべて自分の方から求めてくるものなんです。
小さな肉体、無限の心
自分の肉体を誰かのために使っている人は、いつもいきいきと輝いていますし、反対に、自分の心を、自分の都合に振り回されている人は、いつも暗い感じがいたします。
非凡にとっての普通
自分はそこらへんの連中とは違う。そんな風に考えている人こそ、まさに「平凡」だと思います。
平凡か、非凡か、なんてどうでもいいことなんです。ただ何かを真剣に追いかけてさえいれば、いつか自然と「非凡な人」になっていることでしょう。
やればわかる
行動を積み重ねましょう。
必要な知識や言葉は、なっているうちに身につきます。
やる恥やらない恥
「やります」と宣言したことを、とりあえずやってはみたものの、まったくうまくいかずに、恥をかいた。
「やります」と宣言したものの、もしうまくいかなかったときに恥をかきそうだから、そうなる前にやめておいた。
二人の自分を鏡に映したとき、本当に恥ずかしい人物はどちらでしょう。
胸躍らせる存在
この世界には、とんでもない才能が無数にあふれている。その言葉に勝る、励ましの言葉はありません。
誰にでもある時期
なにもする気がない。たまには、そんな時もあるでしょう。でもそれは後から振り返れば、せいぜい一時的なことじゃないですか。これからずっと成長していく物語の、たった一部ですよ。なんでいちいち焦ったり、傷ついたりする必要がありますか。
行動力を生む心がけ
未知なることを知ろうとすること。本質を見抜こうとすること。その意識が1番、行動につながります。
恥ずかしいこと
凡人はまわりから浮いていることを恥じ、賢人は細かいことを気にする自分を恥じます。
凡人は外見が地味であることを恥じ、賢人は中身が伴っていないことを恥じます。
凡人は自分の評価が低いことを恥じ、賢人は自分の才能が使い切れていないことを恥じます。
本当の恥を知らない人間が、私は苦手です。
心を向ける先
うまくいっている人を見ると、気持ちが焦ってしまいます。ついている人を見ると、自分の運のなさに腹も立ちます。でも、そんなものは巡り合わせだから、気にしなくていいのです。そんなことにかかわっている暇はありません。一刻も早く、「自分が今やらなければならない、1番大事なことは何か?」をはっきりさせてください。悩むべきは、そのことだけです。
余計なことは考えない
いつか裕福になれるのか。それともずっと貧しいままなのか。いつか評判を生むことができるのか。それともずっと誰からも相手にされないのか。そんなことは知りませんし、考えてどうにかなるものでもありません。できるのは自分に与えられた仕事を、一つひとつやり終えるだけです。
なんでもやってみる
できないのではなく、ただやっていないだけです。まだやったことがないことを、「怖い」「面倒くさい」「不安だ」と思う感情は、過去の偏った経験が作り出す、ただの錯覚です。実際にやってみれば、意外とうまくいくことの方が多いのです。
得を考えるのは損
結果はさまざまです。全力を出せたかどうか、それだけを振り返りましょう。正解なのは、それだけですから。
安心感を求めるのは生存本能だ。だが、松蔭はそういう生き方を嫌った。「安定した生活」の先には、目に見えぬものに怯えるらつまらない日々しか待っていないと知っていたからだ。
目の前にある安心よりも、正しいと思う困難を取った。そのように逆境や不安に動じることなく、自分が信じている生き方を通すことこそが、心からの満足を得られる生き方だと、松蔭は固く信じていた。
大切にしたいことのために、今できることはなにか。その問いの繰り返しが、退屈な人生を鮮やかに彩る。
「他人事」の空気に呑まれない
「これからどうなっていくんだろう?」そういう主体性のない言い方をする人とは、かかわりあう価値がありません。自分たちの運命を、まるで世間話かなにかと勘違いしているようですから。「自分にできることはなんだろう。」自分が属しているものはすべて、自分自身の問題として向き合うべきです。ただ、むやみに「他人事のように語っていてはだめだ」と非難することもやめましょう。それも世間話をしているのと、あまり変わりませんから。
人物
私が尊敬するのはその人の能力ではなく、生き方であって、知識ではなく、行動なんです。
まとっている空気感
まわりに感謝し、人に喜ばれることをすれば、心は自然に磨かれていきます。そしてどんな辛いときでも、一生懸命に心を磨いていれば、疲れるということを知らないものです。
いつでも死ねる生き方
あなたはあなた。私は私です。他人にはなんとでも言わせておきましょう。私はできることなら、権力に屈したり、お金に心を動かされたりせず、ただ、あなたたちと一緒に一つのことを極めながは、その素晴らしい技術と真心をもって、士として恥ずかしくないよう、生き抜きたいと思います。「そんなの現実的に無理だ」とあなたが言うのなら「無理ではなくて、まだ実現していないだけだ」と私は答えましょう。
士である証拠
どんなに状況が苦しくても、事態が急変しても、相手が取り乱しても、そのとき変わらずに、やわらかな心を持ち続けられるかどうか。そこで、あなたが士であるかが決まります。
人をみきわめる
自分の生きる道を知る人は、いつも地道でありながら、その行動に迷いがないものです。そして自分の言葉で、自分の行動を誤魔化すことを最低の恥とします。
不安と向き合うことなく、現状を維持してもいいし、不安と戦いながら、理想をめざしてもいい。ただ、道半ばで倒れた時、これが自分の人生だったって、笑いながら言えるのはあなたにとって、どちらでしょうか。
人に影響力を与えられる人
他人への影響力は、自分への影響力に比例します。他人の考え方を変えたいと思うならば、まず自分の考え方を変えてみることです。
リーダーをきわめる道は2つあります。一つは知識の豊富な人や、才能のある人たちと交流すること。もう一つは、世界中のさまざまな分野の本を読むことです。
熱い生き方
立場的に弱い人、うまくいっていない人にやさしくする。両親や上司をはじめ、お世話になっている人たちに、なにかにつけ感謝の気持ちをあらわす。学ぶことと実践すること、どちらも同じくらい時間を費やす。憧れの人をいつか超えてやると、燃えている。そうやって生きていれば、いつか皆に慕われる人物になることでしょう。
ミスを認め、失敗を認める
失敗をしないことは、自慢にはなりませんりなにも失敗していないということは、なにもやっていないということだからです。
隠しきれるものじゃない
評価する人が誰もいないところで、どれだけ人の悪口を言わずにいられるか。善行を重ねられるか。正々堂々と戦えるか。一生懸命に働けるか。それらの行いがすべて「人間性」として表れます。
慣れ親しんだ場所から出る
1人の人間には多くの可能性がある。ただひとり、「自分」だけが可能性を制限することができる。
松陰の感覚は「うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない」だった。それは良い結果を出すためでも、周囲から称賛されるためでもなく、人並み外れて強く、心からの充実感を手に入れたいと思ったがためだった。慣れ親しんだ場所から出たとき、自分にとって本当の人生がはじまる。
「評判は傷ついても、生き方は傷つかない。生き方を傷つけるのは、自分だけである。」
時代に新しい風を吹かす
自分の信念を貫こうとすれば、どうしても「極端だ」と言われてしまうものです。でもまわりから「極端だ」と言われるくらいじゃなければ、この濁った世の中に、新しいものなんて、生み出せ無いでしょう。
どう生きたいか
他人から馬鹿にされたくない。皆そればかり気にするものです。家がおんぼろだとか、服が時代遅れだとか、ろくなものを食べていないとか。しかし、人はあやういものです。生きている時は生きていますが、死ぬときは、もう死んでいるわけです。今日はお金があってもら明日は一文なしかもしれませんし、今日は皆から愛されていても、明日は皆の心が離れているかもしれない。ですからら、私が大事だと思うのは、ただ「自分はどう生きたいか?」その方針に従って生活することなんです。それが人の道というものじゃないでしょうか。
無尽蔵に掘り出せるもの
自分の外にあることはら求めたからといって、得られるものではありません。外にあることというのは、わかりやすく言うと、「お金持ちになる」「有名になる」「人脈ができる」みたいなことですが、これらは結局、得ようとして、得られるものではありませんから、ここに心を尽くすのは馬鹿げています。
一方で、自分の内側にあるものは、求めれば、いくらでも得ることができます。
ことのはじまり
事をはじめるのに、大切なことは、シンプルに、心の底から、「この道をきわめたい」と叫ぶことができるかどうか。
欲しいものはすでに持っている
いまあるものを味わい尽くしましょう。もう十分に受け取っているはずだから。そういう態度を続けていれば、他人が手に入れたものを欲しいとは思わなくなってきます。
楽しみはいつも自分の中にあるもので、環境は自分の幸福感になんら影響を与えるものではありません。
埋められないもの
自分にとって、なにが恥でしょうか。義理を欠いてしまったことでしょうか。まだ実績がないことでしょうか。能力が足りていないことでしょうか。役職や年収が人並み以下であることでしょうか。人からあまり好かれていないことでしょうか。
ですが、人から敬意を集めようと、いくら努力しても、空く感じられてしまうのは、自分の力でどうにかできるのは、自分の内側にあることしかないと、すでにわかりきっていることだからです。
成功者の法則
身の回りに注意深く目と耳を傾けて、どこかで、まだ世に出ぬ才能を見出したら、他人がいくらその人のことを悪く言っていたとしても、ためらうことなく声をかけ、交流することです。
壁を楽しめるかどうか
生まれつき才能を持った人はたくさんいます。子供の頃は、その才能が自然に輝いています。ですが、その才能を磨き続けられる人は本当に少ないのです。多くの人が「才能さえあれば、途中で行き詰まることはないだろう。」と勘違いするからです。才能はあったとしても、なかったとしても、行き詰まるものです。ただ行き詰まったときに、「面白い」と思えるかどうかによって、そのあとが決まってくるのです。
知は行の本たり、行は知の実たり
「負けん気」を育てる
いくら知識を増やしてもしょうがない。素晴らしい本を読んでも、素晴らしい話を聞いても、旅に出て素晴らしい景色を見ても、それは知識が増えたというだけでら人生の根本的な役には立っていない。物事には本質と枝葉がある。枝葉が知識なら、本質は「どう生きたいのか」という志である。
どうすれば志を立てられるだろうか。その源は負けん気である。素晴らしいものと出会ったとき、「自分も同じ人間だ。負けてなるものか。」発奮することができるかどうか、ただそれだけである。志のために行動する。そして志のために行動したからこそ、はじめてその学問を理解できたと言える。
自分を磨くため
出世するための勉強というのは、私はあまりおすすめしません。そこで得た知識や能力を、誰かに使ってもらうことを、受動的に待つしかありませんから。
勉強は「自分を磨くため」という考え方が、シンプルで好きです。自分のために、自分を磨き続けている人は、偉くなるなんて考えもしないのに。自然と、周囲から尊敬されるような人物になっていきます。評価ばかり気にしていたら、そうはいきませんよね。
読書の心得
頭の中を空っぽにして、本の世界に飛び込む感じです。頭じゃない。魂のこもった著者の心を、体で受け止めるのです。
学び上手な人
本当に知恵のあるひとは、自分の知識を披露するよりも、人に質問することを好みます。一見くだらないように見える話も、注意深く観察して、大切なことは見逃しません。
つまり自分は才能がない、性格が悪いと落ち込むよりも、人の才能や知識を、まるで自分の持ち物であるかように考えた方が賢いということです。
学びの賞味期限
すぐれた人の話や文章を触れて、自分もまねしてみよう思うことは簡単です。しかし学んだ今すぐ、その気持ちを行動に移して、結果を出してみなければ、その学びは二度と自分のものにならないでしょう。
本の持つ力
どんな本でもいいのです。本を開いてみれば、その瞬間、人生が変わるかもしれません。本にはそんな可能性を持った言葉が無数に転がっています。でも読む人はあまりいません。読んだとしても、ほとんどの人は本に書かれている教えを真似しようとしません。一度、真似してみればいいのにと切実に思います。
我流でやらない
過去のやり方なんて、どうでもいいですか。独自のやり方で、いけるところまで行きますか。先人のたどった道筋を参考にしないなんて、どれだけ遠回りする気なんですか。
学ぶとは思い出すこと
思いやりとかやさしさは、持つものではなく、思い出すものです。人を喜ばせるのは、善意ではなく、本能です。「本来の人間らしさ」を取り戻すために、私は学びます。
知識と行動
知識は、過去のこと。行動は、今これからのこと。したがって、行動を起こす前には、まず知識を疑うこと。
勝因はどこにあったか
才能、知識、人脈。それはいくらあっても、最後の最後は役に立ちません。地道なことを、どれだけ丁寧に積み重ねられるか。ただそれだけが、大きなことを成し遂げる基盤になるんです。
誰かにとって否定的なことは、誰かにとって肯定的なことである。だから自信を持って好きなことは好き、嫌いなものは嫌いだと言えばいいりそうすれば、周りの人間が入れ替わってら新しい友が次々と加わり、「事を成し遂げる空気」が生まれるはずである。
集団の中で生きる
清廉。どんな人といても、自分を失わない。
協調。どんな人といても、その人に調子を合わせて楽しめる。
この清廉と協調というのは、バランスが難しいものです。清廉でいようとすれば、世界が広がらないし、協調ばかりしていると、自分を見失いやすい。どっちがいいのでしょうか。正解はありません。もしなにかを学ぼうとするなら、清廉でも協調でも、自分の生き方に近い人物や本から学べばいいと思います。
ただし目指して欲しいのは、他人の考えを尊重し認めながらも、自分の考えは周囲に流されず、はっきりと述べることができるそういう生き方です。
やさしさとはなにか
もっと他人に優しくしたいなら、自分のことをもっとよく知ればいいのです。自分の中にあるものを認めれば認めるほど他人の中にあるものを、もっと大切に扱えるようになることでしょう。
信じて疑わない
私は人を疑い続けて、うまくやるよりも、人を信じ続けて、馬鹿を見る男になりたい。