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14歳からの社会学

14歳からの社会学

 


自分本位の若い男の子が多いせいで、女の子たちは自分をちゃんと「理解」してくれる男の子を求めている。「自分がモテないのはルックスが悪いからだ」みたいに思っている男の子が多いけれど、女の子からすれば「とんだカン違いだ」。

男の子たちも、単に自己本位というよりは、余裕がないんだ。余裕がないのは、男の子たちが「承認」を求めているからだ。「僕はダメな男だ。ブサイクで、センスも悪い。それでも「あなたが好き」と言ってくれる子はいないかな」みたいな感じだ。承認を求める男の子は、自分のことで精一杯。余裕がないので女の子を「理解」してあげられない。とすれば、男の子が「承認」を求めてアタフタするのをやめて、女の子を理解するための「試行錯誤」に乗り出そう。そうやって女の子を「理解」してあげられるようになったら、初めて君は女の子を「承認」される。

 


女の子をとことん「理解」することで、女の子に「恋愛にそこまで望んでいいんだ」と目を開かせることをしない君が悪いんだ。無理だよ、という君。モテるモテないに関係なく、最初は誰にだって無理なんだよ。ひとつひとつの失敗から学んで、やっとそうなれるんだ。

それには(こころ)も(からだ)も総動員してぶつかっていく必要がある。そうすることで「数」よりも「深さ」のある経験をすることが必要だ。傷つくのが怖くて深入りしなかったり、自分のことばかり考えていたりすれば、「理解」の力は永久に身につかない。

傷つきたくないけれど、愛に包まれた関係が欲しいー

幼稚すぎる。無論、好きにすればいい。でも、傷つきたくないと言い続ける君には、愛によって永続する関係は永久に得られない。でも、君。君が死ぬ時に、本当に悲しんでくれる人がいなくても、いいのかな

 


仕事をする人に「生きがい」。あたえるために、仕事があるんじゃない。社会が必要とするから、仕事をしてもらわないと困る人がいるから、仕事がある。みんなが仕事に「生きがい」を求め始めれば、多くの人は「生きがい」から見放されてしまう。

 


世の中「仕事での自己実現」をする少数のエリートと「消費での自己実現」をする大多数の大衆とが、かみ合って、経済がうまく回る。結局「生きがい」や「自己実現」といったものは、経済を回すためにエリートが考え出したキレイゴトじゃないのか?と。

 


「もっと自分に合った仕事があるんじゃないか」は「もっと自分に合った女の子がいるんじゃないか」と同じ「ないものねだり」になりがちだといった。自分に何が必要で、何が必要じゃないかわかってないから、そういうことになるんだ。

 


どんな仕事をするんでも『自分流』にこだわることだけ考えろ」ということだ。

 


あるいは「これさえあれば十分」という考え方をしろということだ。自分は何があれば幸せな人間なのか、そのためにはどんな生活ができればいいのかはっきりさせ、「それにはこのくらいのお金と時間があれば十分」というふうに考えて、割り切って仕事を探す。

 


実際「仕事が向いていなかった」という理由で辞める人のうち、「ステップアップ」の転職ができる人はわずかだ。多くの人は「ステップダウン」つまり、前よりも悪い仕事に再就職する。この人たちは、永久に「向いた仕事」に就けないかもしれない。

 


自分がどんな人間で、何をしている時が幸せか。「これさえあれば自分は幸せ」と思えるものは何か。それをつかむためにだけ「試行錯誤」して、おぼろげながらでもつかんでいく。そうすれば、自分に必要じゃないものに過剰な期待をしなくて済むようになる。

 


これから君が生きていくには「本物の人間」と「偽物の人間」を見分ける力が必要だ。さして必要じゃない人間とは、適当に付き合えばいいだけだ。でも、君にとって必要な人間は、君に「感染」を与えてくれる大切な存在だ。だから「目の前にいるこの人は本物かニセ物か」を見抜く力が必要になってくる。その力がなければ、君は不幸になるだろう。

 


「感染動機」は違う。すごい人に「感染」して何かをしている時間が、すべて喜びの時間ー瞬間じゃないーになるんだ。