再読したくなる切り抜きブログ

読んだことのある「本」をもう一度読みたくするブログ

THINK AGAIN

THINK AGAIN

 


変化の激しい時代を生きるために、必要なのは「考え直す、学びほぐす(知識をリセットし、学び直す)」能力だ

 


偉大な大統領を際立たせているのは、「知的好奇心」と「寛容さ」だ。

 


メタ認知とは、自分自身の思考や認知についての思考、すなわち、自分の思考や行動を客観的に捉える能力

 


自分のことを面白いと言っている人の言うことは、本当に面白いだろうか?

 


自信と謙虚さの均衡を保つことが焦点となる

 


「謙虚さ」とは、しっかりした知識や能力、つまり自分の過ちや不確実さを認識する力

 


将来の目標に達するのに十分な能力が備わっていると自信を持ちながら、そのための正しい手段は何かと現在の自分に問う謙虚さを持つことは可能だ。そう、それが最適な自信レベルである。

 


したがって、私たちが手に入れるべきは、バランスの取れた自信と謙虚さだ。つまり、自己の能力を信じながら、自分の解決方法が正しくない可能性、あるいは問題自体を正しく理解していない可能性を認めること。そこから疑問が生まれれば、既存の知識を再評価するようになり、ほどほどの自信があれば、新しい見識を追い求めることができる。

 


自信に満ちた謙虚さ

 


偉大な思想家は、自分がどれだけ知っているかを自慢しない。むしろ、どれだけ知らないかに驚嘆する。

 


生涯学び続ける者の美点とは、出会う人の一人ひとりから何かを学び得ることを知っていることだ。

 


自分が間違いだとわかって、心の底から嬉しく思うよ。私の間違いが、一つ減ったのだから。

 


自分が何かを学び得たかどうか知る唯一の方法は、自分の過ちを発見することだ。

 


自分の過ちを素直に喜べるようになるには、固執を分離しなければならない。

 


現在の自分を過去の自分から分離する。

自分の意見や考えを自分のアイデンティティから分離する。

 


自分は誰なのか、アイデンティティを問うとき、あなたの信念ではなく、価値観に基づいて自分を定義するべきだ。価値観とは、人生の中核となる原理である。それは優秀で寛容であることかもしれないし、自由で公正であることかもしれない。または安全・安心で誠実であることかもしれない。このような価値観を自分のアイデンティティの基底におけば、柔軟な心を持ち、視野を広げるための最善の方法を喜んで受け入れるはずだ。

 


人は、自分に自信が持てない時、他者を笑う者だが、自分の間違いを恐れていなければ、臆することなく自分を笑い飛ばすことができる。自分自身を笑うことで、真剣な決断を下す時でも、少し肩の力を抜いてもいいのだと、思いつめる必要はないのだと自分に言い聞かせることができる。ある調査によると、自分自身を笑うことが多い人ほど、自分は幸せだと感じているそうだ。自分を責めるより、過去の自分の勘違いを現在の笑いのタネにするほうがずっといい。

 


「多くの正しい判断が出来る人は、よく耳を傾け、よく自分の考えを変える人だ」

 


一流の交渉は自分の主張の根拠を、ごく少数しか提示しない

 


一流の交渉人の共通点は、合意点を挙げて聴衆の関心を引くことや、攻撃・反撃の悪循環を回避することだけではない。ハリシュは、相手を圧倒しないよう、慎重にアプローチしている。

 


無知を回避するには『アンラーニング(既存の知識や習慣を捨てること)』が重要

 


動機付け面接は、三つの技術から成る。

・聞かれた質問を投げかける

・聞き返しを行う

・変わろうとする意思や能力を是認する

 


動機付け面接を行うときは、相手の自由意志を守るために、指示や助言を行うのではなく、本人が変わりたい方向を見出せるように質問をしてみる。

 


相手の心を開かせるのに最も効果的なのは、耳を傾けることだ。

 


親身に、公平な態度でじっと耳を傾ける人と対話することで、人々の不安は軽減され、自己防衛が緩和されることが、複数の実験で明らかになっている。

 


バイナリー・バイアスとは、複雑に関連した事象を二つのカテゴリーに分けることで単純化しようとすること

 


良い教育者とは「新たな思想、見解」を教えてくれる人であるが、偉大な教育者とは「新しい考え方」を教えてくれる人だと信じている。

 


教育というのは、私たちが生涯にわたり草案を何度も書き直す習慣を築くこと、そして生涯にわたり学び続ける能力を培うことなのだ。

 


自分たちは発展途上にあるのだと認めるには、謙虚さを忘れない自信が必要だ。つまり、自分の有能さを誇示するよりも、自分を改善しようとする意欲や向上心が大切だ。

 


自分自身を職業によって定義すべきではない。職業とは一種の行為であると学んだ方が、子供たちは幸せになれるだろう。仕事は自分達の行動であり、自分自身ではないことをきちんと理解していれば、子供は視野をより広げて、さまざまな可能性を探るように成る。

 


過去2年間の進歩が無駄になったとしても、それからの20年間を後悔しながら生きるよりもずっとマジではないか?

 


行動を変えた学生は幸福度が高まり、その状態が継続した。

 


キャリアにおいては、最大の幸福感を得られる仕事を探すより、最も学びを得ることが多い仕事や、最も貢献できる仕事を追求する方が充実した人生を送れる、と思っている。

 


情熱はたいてい、「発見するもの」ではなく「発達させていくもの」だ。

 


幸福はゴールというよりも、むしろ熟達と意義から副産物的に得られたものではないか

 

愛するということ

愛するということ

 


愛は技術だろうか。もし技術だとしたら、知力と努力が必要だ。

 


このささやかな本は、愛は技術であるという前提に立っている。

 


愛は、人間のなかにある能動的な力である。人を他の人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。

 


愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。

 


生産的な性格の人にとっては、与えることは全く違った意味を持つ。彼らにとって、与えることは、自分の持てる力のもっとも高度な表現である。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分の持てる力と豊かさを実感する。

 


たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。

 


自分の中に息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているものすべてを与えるのだ。

 


このように人は自分の生命を与えることで他人を豊かしに、自身を活気づけることで他人を活気づける。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、必ず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分に跳ね返ってくる。本当の意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになる。

 


愛の能動的な性質

配慮・責任・尊重・知である。

 


愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働は分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。

 


幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。

 


恋愛には、もしそれが愛と呼べるものなら、前提がひとつある。すなわち、自分という存在の本質から愛し、相手の本質と関わりあうということである。

 


「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という考え方の裏にあるのは、自分の個性を尊重し、自分を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することは切り離せないという考え方である。自分を愛することと他人を愛することは、不可分の関係にあるのだ。

 


自分の人生・幸福・成長・自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち配慮・尊重・責任・知に根ざしている。もしある人が生産的に愛せるなら、その人は自分のことも愛している。他人しか愛せない人は、愛することがまったくできないのである。

 


利己主義と自己愛とは、同じどころか、正反対である。利己的な人は、自分を愛しするぎるのではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、その人は自分を憎んでいるのだ。そのように自分にたいする愛情と配慮を欠いているのは、その人が生産的に欠けていることのあらわれにほかならずらそのせいで、その人は空虚感欲求不満から抜け出すことが出来ない。

 


現代人は過去か未来に生き、現在を生きていない。感情的に幼年時代や母親を思い出したり、将来の幸福なプラン胸に描いたりしている。他人が創作した物語にひたって身代わりの愛を経験するとか、愛を現在から過去あるいは未来に遠ざけるといった、この抽象化され疎外された愛の形が、現実の苦しさや孤独感をやわらげる麻薬の働きをしている。

 


現代の宗教は、自己暗示や精神療法と組んで、ビジネスの面で人間を助ける。1920年代にはまだ、「人格を向上させる」目的で神に祈ったりはしなかった。「人を動かす」などの宗教的な本では、成功ばかり目指すことが果たして一神教の精神と一致するのかということは、問題にすらなっていない。成功という至上の目的はまったく疑われず、神への信仰や祈りは、成功のための能力を高めるためのものとして推奨されている。

 


重要なのは、外から押し付けられた規則か何かのように規律の習練を積むのではなく、規律が自分の意志の表現となり、楽しいと感じられ、ある特定の行動に少しずつ慣れていき、ついにはそれをやめると物足りなく感じられるようになることだ。

 


人間にとって肉体的にも精神的にも良いことは、最初は多少の抵抗を克服しなければならないとしても最終的には快いものでなければならない、と考えられていた。

 


ひとりでいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。

 


他人との関係において精神を集中させるということは、何よりもまず、相手の話を聞くということである。

 


集中するとは、いまここで、全身で、現在を生きることだ。何かをやっているあいだは、次にやることは考えない。

 


人は自分自身に対しても敏感になれる。たとえば疲れを感じたり、気分が滅入ったりした時、その気分に屈したり、つい陥りがちな後ろ向きの考えにとらわれると、鈍感さを助長することになる。そういうときは、「何が起きたのか」と自問するべきだ。どうして気分が滅入るのだろうか、と。また、なんとなくイライラしたり、腹が減ったり、白昼夢にふけるなどの逃避的な活動をしている時も、それに気づいたら、自問するのだ。

 


内なる声に耳を傾けることだ。なぜ私たちは不安なのか、憂鬱なのか、いらいらするのか、内なる声はその理由を、たいていすぐに教えてくれる。

 


客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。

 


人を愛するためには、ある程度ナルシストから抜け出していることが必要であるから、謙虚さと客観性と理性を育てなければならない。

 


愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要なのだ。

 


他人を「信じる」ことは、その人の基本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。

 


私たちは自分を「信じる」。私たちは自分の中に、ひとつの自己、いわば芯のようなものがあることを確信する。どんなに境遇が変わろうとも、また意見や感情が多少変わろうとも、その芯は生涯を通じて消えることはなく、変わることもない。

 


この芯こそが「私」という言葉の背後にある現実であり、「私は私だ」という確信を支えているのはこの芯である。自分の中に自己がしっかりあるという確信を失うと、「私は私だ」という確信が揺らいでしまい、他人に頼ることになる。そうなると、「私は私だ」という確信が得られるかどうかは、その人にほめられるかどうかに左右されることになってしまう。

 


自分を「信じている」者だけが、他人に対して誠実になれる。なぜなら、自分に信念を持っている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう。」という確信を持てるからだ。

 


信念を持つには勇気がいる。勇気とは、あえて危険をおかす能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟である。

 


愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。ある価値を、これがいちばん大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値にすべてを賭ける勇気である。

 


人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは無意識のなかで、愛することを恐れているのだ。人を愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである。

 


愛は能動である。

 

人望が集まる人の考え方

人望が集まる人の考え方

 


よい人間関係とは、自分が求めているものを手に入れるのと引き換えに、相手が求めているものを与えることだ。

 


一般に、幸福な人は不幸な人より多くの幸福を振りまくし、成功者は失敗者より多くの恩恵を周囲の人にもたらす。

 


すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる。

 


人間関係の4つのルール

1.すべての人は程度の差こそあれ自分本位である。

2.すべての人は自分に最も強い関心を抱いている。

3.すべての人は自分が重要だと感じたがっている。

4.すべての人は他人に認められたいと思っている。

 


自尊心が満たされていないと、人々は摩擦やトラブルを起こしやすい。

 


自尊心が満たされれば

・寛容の精神が発揮するので、相手の考え方にじっくり耳を傾けることができる。

・自分のニーズが満たされているので、相手のニーズに配慮することができる。

・精神的に安定しているので、相手にミスを指摘されても素直に認めることができる。

・批判を受け流すだけの自信があるので、おおらかな態度で相手に接することができる。

 


他人をこき下ろす傲慢な人も、低い自尊心のために苦しんでいる。

 


世界中の人々が最も飢えているもののひとつは、自分の重要感である。つまり、すべての人は自分の価値を他人に認めてほしい、自分を認めて欲しい、自分に気づいてほしいと強く思っているのだ。

 


「隠れ資産」とは

・あなたは他人の価値を認める力を持っている。

・あなたは他人が自分を好きになるのを手伝う力を持っている。

・あなたは他人を受け入れて大切に扱う力を持っている。

 


自分の「隠れ資産」を相手に与えるとき、何が得られるかを考える必要はない。それを気前よく与えれば、必ず何倍にもなって戻ってくるからだ。

 


相手に重要感を持たせる3つのルール

1.相手を重要な存在とみなす

2.相手に注目する

3.相手に対して威張らない

 


・相手に好印象を与えたいなら、自分のすごさをひけらかすことはない。

・相手に感銘を与える最も効果的な方法は、自分が相手に感銘を受けたと伝えることだ。

 


自分が情熱を持つまで、相手に商品を売ることはできない。自分が商品に対して情熱を持つと、相手はそれを買いたくなる。

 


自信は信頼を生む

平凡な能力しか持っていない人が自信満々に振る舞う方法を学んだことによって、卓越した能力を持っている人より大きな成功を収めることがよくある。

 


自信にあふれた態度が人をひきつける

 


自信にあふれた表情をすると、自信がみなぎるように感じる。さらに重要なのは、それによって見込み客が信頼を寄せてくれることだ。

 


自信にあふれた態度をとることは、自分の魅力を高めるための最も重要なことの一つだ。

 


自分を信じているように振る舞えば、相手はあなたを信頼する。このことをよく覚えておこう!

 


「相手に美徳を身につけさせる最高の方法は、相手にその美徳を期待することだ」

 


自分が望む「主音」で会話を始めれば、相手の行動と態度を驚くほどコントロールすることができる。

 


自分が他人にどう思われるかは、自分の自己評価によるところが大きい。

 


他人についてネガティブな発言をすると、自分について悪い印象を相手に与える結果になるのである。

 


「私はその人がそれをしたくなる理由を見つけ、その人がそれをやりたがることを期待するようにしています。そして、その人がそうしてくれるのを確信していることその人の能力を信頼していることを伝え、あとはその人の主体性に任せています」

 


人々をひきつける3つの条件

1.相手を受け入れる

相手をあるがままに受け入れて好きになる人こそが、相手の行動を改善するだけの影響力を持つ

 


2.相手を認める

ポジティブな性格の人は認めるべきものに焦点をあてるので、相手の長所を引き出すことができる。人々は他人に認めてもらうと気分が良くなり、さらにいい気分になるために他の資質も伸ばしてもっと認めてもらおうと努める。

 


人を褒めるときのひとつのルールは、目立たない長所を褒めることだ。

 


3.相手を尊重する

 


自分のことを相手が好いてくれると信じることが大切だ

 


相手が友好的な態度をとってくれるのを待つのではなく、自分から率先して友好的な態度をとろう。おそらく相手も友好的な態度をとってくれるはずだ。

 


初対面の相手とすぐに打ち解ける人を思い浮かべると、いつも顔に笑みを浮かべている人であることに気づくはずだ。そういう人はとても明るいし、よく笑う。心のこもったほほえみは、相手の真愛の情をすぐにかき立てる。

 


会話では相手に自分のことを話させよう。

 


相手の得意な話題を探す必要はない。自分のことを話してもらえばいいからだ。どんな人でも「自分」というテーマの第一人者である。

 


会話上手になる秘訣は小難しいことを言ったり自慢話をしたりすることではなく、相手の心を開いて話をしてもらうことである。

 


自分を話の中心にするのではなく、相手に質問して話を聞き出すことが、会話上手という評判を得る秘訣である。

 


相手が話すより相手に話させたほうが、あなたの評価は上がる、相手はあなたを思いやりのある人だと感心し、好意を抱くだろう。

 


自分について話してもいいタイミングとは、自分について話すように求められたときだ。

 


成功するには相手が求めているものを与えることが不可欠である。あなたはたえず相手の要望に耳を傾けなければならない。

 


一流のビジネスマンは自分の口を閉じて、相手に話させるように仕向けるのがうまいだけである。

 


人とうまく関わりたいなら、相手の発言にじっくり耳を傾け、相手が何を求めているかを良く知る必要がある。

 


反対意見を持つ人を論破したくなるのが自然な衝動だが、本来の目的は相手を説得して賛同を得ることだ。

 


「私が間違っているかもしれないが」も切り出すといい。相手はあなたが遠慮がちに話しているのを見て謙虚な姿勢に共感し、自分の考えを改めて「あなたが正しい」と言ってくれるだろう。

 


議論に勝つ6つのルール

1.相手に意見を述べさせる

2.答える前に少し間を置く

3.100%勝とうとしない

4.控えめな態度で主張する

5.第三者に代弁してもらう

6.相手の面子をつぶさない

 


相手にアドバイスを求めたら、あなたは解決すべき問題を相手に与えて興味を引くことができる。

 


「この問題について意見を聞かせてほしい」「あなたならどう解決するか教えてください」と言うと、相手は自分が信頼されていることを実感して親近感を抱く。

 


相手にアドバイスを求めているなら、本気で「アドバイスをしてください」と言うべきだ。そうすれば、問題解決に役立つアドバイスが得られるだけでなく、重要感を与えて喜ばせることができる。

 


自分が感謝していることを言わなくても相手はわかってくれると思ってはいけない。相手の行為に対する感謝の気持ちをきちんと伝えることによって、相手はあなたのためにもっと尽くしたくなる。

 


「ありがとう」と言うときのルール

1.心をこめて言う

2.口ごもらずに、はっきりと言う

3.相手の名前を呼ぶ

4.相手の顔を見る。

5.相手に感謝する努力をする

6.相手が思いもよらないときに感謝する。

 


他人に幸福感を与えれば与えるほど、自分の幸福感が高まるのである。

 

サイコロジー・オブ・マネー

サイコロジー・オブ・マネー

 


ファイナンスの世界以外で、学位もなく、専門的な訓練も受けておらず、経歴も実も経験もなく、人脈もない人間が、最高レベルの学歴、専門的知識、人脈を持つ人間のパフォーマンスを大幅に上回ることがあるだろうか?

 


経済的な成果は、知性や努力とは無関係の「運」に左右される部分が大きい。

 


経済的な成功は「ハードサイエンス」では得られない、というものだ。

 


「パパは君に成功してほしい。君が自分の力で成功を勝ち取ることを願っている。だけど、あらゆる成功が努力によるものでもないし、あらゆる貧困が怠惰によるものではないことは知っておくべきだ。誰かをー自分自身を含めて評価するときは、このことを忘れないように。」

 


失敗にうまく対処するコツは、一度や2度、投資に失敗したり、経済的な目標を達成できなかったりしても、自信を失わないようにすることだ。必ずいつかは偶然が自分にとって良い方向に働くときが来ると信じながら、プレイし続けることだ。

 


「十分」の感覚がなければ幸せは遠のく。古くから言われているように、幸福とは、「結果から期待値を差し引いたもの」だから。

 


現地のディーラー「ラスベガスで勝つためのたった一つの方法は、カジノに入ったらすぐに出口に向かうことです」

 


「途方もない結果を生み出すのに、途方もない力は必要ない」

 


成功の最大の要因は「時間」だった。これが複利の力だ。

 


お金を得ることと、それを維持することは別物

 


破滅を避けるための三ポイント

1.大きなリターンを得ることよりも、経済的に破綻しないことを目指す。

 


2.あらゆる計画でもっとも重要なのは、計画通りに進まない可能性を踏まえて計画すること

 


「人間が計画すれば、神が笑う」ということわざがある。現実的には、まったく変更せずに進められる計画はほとんどないからだ。

 


3.未来に楽観的であれ

 


賢明な楽観主義とは、「たとえ途中で不安に見舞われたとしても、長期的に見れば物事は自分が望む方向に進むと信じることである」

 


「短期的に失敗しても、長期的には成功できる」

 


投機家はどれだけ金を払ってでも、傲慢にならないための方法を学ばなければならない。優秀な人間が大失敗するのは、たいてい傲慢さが原因だ。

 

 

 

テールとは、結果の分布図の最後尾の部分を指す言葉である。少数の事象が結果の大部分を占めることがあるファイナンスの世界において、これは莫大な影響力を持っている。

 


人間に幸福感をもたらす信頼性が高い要因は、「人生を自分でコントロールしている」というはっきりとした感覚があることだ。

 


モノではなく時間こそが、人生を幸せに導く。これが、人生経験豊富で、あらゆる体験をしてきた人生の先輩からのアドバイスなのだ。

 


人は、「私は他人に好かれ、賞賛されるべき人間だ」というシグナルを発しようとし、富を求める。しかし、富を誇示するような高級品を苦労して身につけても、思ったほど他人から称賛されることはない。

 


現代の資本主義は、人が「成功を手に入れるまで、成功しているフリをする」ことそれ自体を、一つの立派な産業にしている。

 


世の中には、地味に見えても実は裕福な人や、裕福に見えても破産寸前の生活をしている人がたくさんいる。他人の成功を目に見えるモノで判断しそうになったり、誰かのようになりたいと思ったりしているときには、このことを忘れないようにしよう。

 


まず念頭に置くべきなのは、シンプルだが軽視されがちな、「富を築くには収入や投資リターンはほとんど関係なく、貯蓄率が大きく影響する」という考えだ。

 


少ないお金で幸せになる方法を学べば、必要なものを買っても十分に手元にお金は残せるが、支出を減らすほうが簡単だし、その方が自分でコントロールしやすい。

 


人生では、最悪のタイミングで予期せぬ出来事が起こり得る。貯蓄は、そのリスクに対する備えなのだ。

 


銀行口座に預けているお金は、転職や早期退職など、選択肢というリターンを与えてくれる。このリターンは、計り知れないほど大きいものだ。

 


貯蓄で生まれる柔軟性こそ、最強の武器である。

 


合理的思考とは、現実的に考えることだ。

 


不確かなものに対処する唯一の方法は、「こうなるだろう」と考えた出来事の範囲と、実際に起こり得る出来事の範囲のあいだに余地を設けて、失敗してもまた挑戦できる余力を残しておくことなのである。

 


「幸福感を得るための最良の方法は、目標を低く設定することだ」

 


誤りの余地の正反対に位置するのが、リスクテイキングにおける楽観主義バイアス、あるいは「ロシアンルーレットは確立どおりに機能するはず症候群」だ。つまり、絶対に負けが許されない状況で、勝てると判断して賭けに出てしまうことだ。

 


成功するためにはリスクを取らなければならない。だが、自分を破滅させるほどのリスクは取るべきではない。

 


レバレッジとは借入金を使って投資をすることであり、日常的なリスクを破滅的なリスクに変えてしまいかねない破壊力がある。

 


飛行機の重要なシステムのほとんどはバックアップが備えられ、バックアップのバックアップも備えられていることが多い。

 


お金に関する最大の単一障害点は、短期的な収入を給料だけに頼ってしまい、将来の想定外の支出に備えて貯蓄をしていないことだ。

 


あらゆる計画についてもっとも重要なのは、計画通りに進まないことを想定して計画を立てることなのである。

 


現役時代に、貯蓄、自由時間、家族と過ごす時間などすべて適度にすることを目標にすれば、極端な場合よりも、計画を継続しやすく、後悔もしにくくなる。

 


「僕にとって、現時点ではサンクコストは発生していないからだ」

 


楽観主義とは、「すべてうまくいく」とたかをくくることではない。それは慢心である。真の楽観主義とは、「たとえ途中で挫折することがあっても、長期的に見れば良い結果が得られる確率が高いと信じること」だ。

 


2018年までの10年間、米国におけるアクティブ型の投資信託の85%が、ベンチマークとなかるインデックスファンドを運用利回りで下回っている。

 


無知の無知な人がたどるストーリー

・計画を立てるとき、自分の望みやできることばかりに目を向け、結果に影響を与え得る他人の計画や能力を無視する。

 


・過去を説明するときや未来を予測するときに、能力ばかりに注目し、運が結果に及ぼす役割を軽視する。

 


・知っていることばかりに注目し、知らないことを軽視し、自分の考えを過信してしまう。

 


お金について、より良い判断をするための普遍的な教訓。

 


・物事がうまくいっている時には慎重に、うまくいかないときには寛容に

何事も見かけほど良くも悪くもないからだ。世界は巨大で複雑だ。運もリスクも現実に存在し、その影響を見極めるのは難しい。だから、自分や他人を評価するときは、「何事も、見かけほど良くも悪くもない」と肝に銘じよう。

 


投資対象を問わず、うまくいかないことが多くてもかまわないと考えるべきだ。それが世の中なのだ。

 


経済的自立の達成には、高収入を得る必要はない。大切なのは、贅沢せず、身の丈に合った生活をすることだ。

 


「真の成功とは、ラットレースから抜け出して、心の平穏のために生きることである」

 


私がパーソナル・ファイナンスについて学んだ最大の教訓は、誰もが例外なく、いつかは予想外の大きな出費に直面するということだ。その出費を想定していなければ、当然、その準備もできない。

 


私の投資に対する哲学を一言で表すなら、「投資では、自分の目標を達成できる確率がもっとも高い戦略を選ぶべきだ」

 

 

 

 

自己信頼

自己信頼

 


汝、自らの他に求ることなかれ

 


自分の考えを信じること、自分にとっての真実は、すべての人にとっての真実だと信じることーそれが天才である。

 


心の中で確信していることがあるなら、声に出して語るがよい。そうすれば、それは普遍的な意味を持つようになるだろう。

 


たとえ周囲のすべてが反対していようとも、にこやかに、しかし断固として、自分の中に湧きあがってくる印象に従うべきだ。

 


ねたみは無知であり、人まねは自殺行為であること、良かれ悪しかれ、自己は受け入れなければならないこと、世界は広く、善きものであふれているが、自分に与えられた土地を耕さないかぎり、身を養ってくれる一粒のトウモロコシでさえ、自分のものにならないこと。

 


私たちの中に宿る力は、まったく新しい種類のものであり、それを使って何ができるかを知っているのは本人だけだが、実際にやってみるまでは本人にさえ、それが何かはわからない。

 


臆病者に神のみわざは伝えられない

 


神の摂理があなたのために用意した場所を、同時代の人々との交わりを、ものごとの縁を受け入れよ。

 


株式会社では、自己信頼は嫌悪される。社会はものごとの本質や創造性ではなく、名目と習慣を愛する。

 


「自分の中から湧きあがってくるものだけを人生の指針としたいのです。もし私が悪魔の子なら、悪魔に従って生きていくまでです。」

 


私にとって、自分の本性に関わる法則以外に神聖な法則はない。

 


正しいものは私の性質に即したものだけであり、悪いものは私の性質に反したものだけである。

 


自分以外のものは名ばかりで、束の間の命しか持たないものと見なし、たとえ周囲のすべてが反対しようとも、自分の意見を貫くことだ。

 


人生は生きるためにあるのであって、見せ物にするためではない。きらびやかだが不安定な人生より、つつましくとも誠実で平穏な人生の方がずっと好ましい。

 


私の才能はわずかで平凡かもしれないが、私はたしかに私として存在しており、わざわざ二次的な証拠を持ち出して、そのことを自分や仲間に納得させる必要はない。

 


私がしなければならないのは、私にかかわることだけであって、他人が考えていることではない。

この基準を守るのは、実生活でも知的生活でも同じように困難だが、重要なものと些末なものを見分けるには最高の指標だ。

 


やっかいなことに、世界には他人の本分を本人よりも知っていると思い込んでいる人々がいる。

 


常に現在の視点から過去を徹底的に検証し、日々新しい1日を生きること、それこそが賢明な態度だと思われる。

 


一貫性と偉大な魂の間にはなんの関係もない。一貫性を気にするのは、壁に映った自分の影を気にするようなものだ。

 


今考えていることを断固として語りたまえ。そして明日は、たとえ今日言ったことの全てと矛盾していても、そのときに考えていることを断固として語るのだ。

 


偉大であることは、誤解されることなのだ。

 


人は、その人自身でしかありえない。その人を語るのは、意志よりも人格だ。

 


世間に迎合していては、どんな行動も説明できない。自分の道を行くのだ。そうすれば過去の行為が、いまの自分を正当化してくれる。

 


こうなりたいと思う自分にいま、なるのだ。いま行動せよ。どんなときも人目を気にしないように努めれば、常にそうできるようになる。

 


人格の力は積み重なる。過去に徳に励んだ日々が、活力にあふれたいまをつくるのだ。

 


ならば人間は自分の価値を知り、常に主体的に行動するべきではないか。世界は自分のためにあるのに

 


後天的に授けられるものを教育というのに対し、この根源的な知恵は「直観」と呼ばれる。この奥深い力、どんなに分析しても明らかにしえない究極の事実の中に、万物の起源がある。

 


私たちは果てしなく広がる叡智の膝に身をもたせている。この叡智は私たちに真実を伝え、私たちを使って世界に働きかける。

 


思慮のない人々は他人の意見を簡単に否定する。もし無意識に知覚しているものを口にすれば、それと同じくらい、いやそれ以上に否定されるだろう。彼らは知覚を意見と混同しているのだ。

 


歴史は、私の現在と未来に関する快い寓話やたとえ話にすぎず、もしそれ以上のものであるなら、見当はずれの有害なものでしかない。

 


人間は臆病で弁解ばかりしている。すっかり自信を失い、「私はこう思う」とか「私はこうだ」といい切る勇気もなく、どこかの聖人や賢人の言葉を引用している。

 


しかし人間は何かを先延ばしにしたり、過去を振り返ったりする。いまを生きずに過去を悔んだり、自分を取り巻いている豊かさに目を向けず、つま先だって未来を予見している。バラと同じように時間を超越し、いまを自然とともに生きるようにならなければ、私たちは幸福にも強くもなれないだろう。

 


価値があるのはいま生きていることであって、過去に生きたことではない。

 


ではなぜ、私たちは自己信頼の話をしているのか。それは魂が存在するかぎり、力も存在するからである。それは何かに頼るのではなく、自ら行動する力だ。

 


信頼を語っても、言葉はむなしく空まわりする。むしろ信頼を寄せている主体、実際に活動し、存在しているものについて語ろう。

 


万物の原理に私よりも従っている人は、一本の指を動かすことなく私を支配する。私は霊の引力によって、その人の周りをぐるぐると回らずにはいられない。

 


人類には私の血が流れ、私には人類の血が流れている。だからといって、彼らの短期や愚かさを取り入れるつもりはない。むしろ、恥ずかしいと思うくらいだ。

 


ありのままの私を愛してくださるなら、私たちはもっと幸せになれるでしょう。ありのままの私では愛せないというなら、ありのままで愛される人間になれるよう努力するつもりです。

 


あなた方はあなた方で、真実に忠実に生きているのかもしれない。でもその真実が私にとっての真実ではないなら、どうぞご自身の仲間を大切に。私は私の仲間を探します。利己心ではなく、謙虚で誠実な心からそうするのです。

 


人生を先延ばしにするのではなく、すでに生きているからだ。彼にはひとつではなく、百のチャンスがある。

 


自己信頼を実践すると、新しい力が姿を現す。

自分自身に従って行動するなら、即座に世間はその人をあわれむのをやめ、むしろ感謝し、尊敬の念を抱くようになる。

 


私的な目的をかなえるための祈りは下劣であり、盗みに等しい。そのような祈りは自然と意識を一元的ではなく、二元的に捉えている。

 


勇気こそ、われらのもっとも大切な神なり

 


不満をいうのは自己信頼が足りず、意志が弱いからだ。不幸を悔いれば、不幸な目にあった人を助けられるというなら、そうするがよい。そうでないなら、自分の仕事をするのだ。

 


幸運をつかむ鍵は手元の喜びにある。神にも人にも常に迎合されるのは自立した人間だ。

 


その人は、私たちの愛を求めなかったがゆえに、私たちの愛を一身に集める。私たちの非難を無視し、わが道を行くがゆえに、私たちは必死になって、まるで詫びるかのように彼の機嫌をとり、誉めたたえる。

 


世の人々は人格ではなく、所有しているものによって相手の価値をはかる。しかし教養を身につけ、自分の本質に敬意を払うようになった人は、自分が所有している財産を恥じるようになる。

 


人格は常に必然によって獲得される。

 


「汝の運命、すなわち人生の定めは自分自身を追い求めることだ。ならば運命を追い求めるのはやめ、泰然としているがよい」

 


他人には何も求めるな。そうすれば万物流転の世にあっても、あなたは唯一不動の柱として、周囲のものすべてを支えるようになるだろう。

 


「運」と呼ばれるものについても同様だ。たいていの人は運命の女神を相手に賭けをし、運命の輪がまわるにまかせて、すべてを手にいれたり、全てを失ったりする。

 


しかし運任せの暁光など道理に合わないものとして退け、神の法官たる「原因」と「結果」を相手にするべきだ。

 


あなた自身をおいて、あなたを平和をもたらすものはない。

 

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?

 


試してみることに失敗はない

 


遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る。

 


問題は、才能のあるなしでもなければ、勤勉かどうかってことでもない。コイン投げの達人じゃないってことなんだ。

 


何度となく「表」を出すコインの投げ手は、何度となく投げているのだということを。そして、チャンスの数が十分にあれば、チャンスは君の友人になるのだということを」

 


必要は発明の母かもしれない。だけど、偶然は発明の父なんだ。

 


 人は、変化は大嫌いだが、試してみることは大好きなんだ。

 


もし宇宙が信じられないような素晴らしいアイデアをくれるとして、きみはそれにふさわしいかね?

 


僕たちはね、失敗するのを怖がりすぎて、それが宇宙からの贈り物だってことに気づこうとしないんだ。

 


『あらゆることをしろ。素晴らしいアイデアは、どこからやってくるのかわからないのだから。』

 


誰だって、後からだったら、何だって言える。革新だというのは簡単そうに見えるものなんだ、後から見ればね。

 


大した努力もしていないのにちょっとしたまぐれ当たりに見えるなんて、そんなサクセスストーリーはありえないよ。

 


試すことは簡単だが、変えるのは難しい、ということを。

 


「困難というのは、一つひとつが実地演習を始める合図だ。試すことは、一つひとつが世の中への問いかけだ。答えというのは、一つひとつが旅だ。旅程の計画は人生に任せておけばいい。君の仕事は、光を集めることとカメラを持っていくことなんだから」

 


新しいアイデアというのは、新しい場所に置かれた古いアイデアなんだ。

 

LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる

Listen

 


「誰とでも話ができる」は「誰の話でも聞ける」ということ

 


ジャーナリストとしての私にもっとも役に立っている学びは、適切な質問さえすれば、誰もが面白くなるということです。もし退屈で面白くない人がいるなら、それはあなたに原因があります。

 


自分に関心を持ってもらおうと過ごす2年間よりも、他の人に関心を持って過ごす2ヶ月間の方が、多くの友人を作ることができる。

 


あなたは、自分についてはもう知っています。でも話し相手のことや、その人の経験から自分が何を学べるのか、会話が始まる時点ではまだわかりません。その会話から何かしら学ぶことが目標です。

 


人間はたいてい、とりわけ社会的には、不確実性を嫌います。

 


しかし逆説的ではありますが、生きた実感をいちばん味わわせてくれるこは不確実性です。

 


予測不能だからこそ、人は興味深いのです。不確実性を避けたいがために人の話に耳を傾けないのとしたら、そこで確実に起こることは、退屈な時間と、新しい学びがないためにあなた自身もつまらない人間になる、それだけです。

 


実は私たちの誰もが、愛する人に関しては思いこみをする傾向にあります。これは「近接コミュニケーション、バイアス」と呼ばれています。

 


何を話すか、どの程度話すかは、そのときあなたが聞き手をどう感じるかによって変わります。表面的にしか聞いていないとか、粗探しのために聞いている、もしくは意見を言う機会をうかがいながら聞いているような相手には、大切な自己開示をあなたはおそらくしないでしょう。逆も然りです。

 


「自分がなぜその話を相手にしているのか、自分にとってそれがどういう意味を持つのか。人は、それを相手に理解してもらいたいのです。話の細かいところを知ってもらうことはそこまで重要じゃありません」

 


「この人はなぜこの話を私に聞かせているのだろう?」と常に自問しながら聞いてみてください。

 


「誰かに意識を完全に集中させると、その人についてどれだけ知ることができるか、びっくりするほどですよ」

 


話し続けず、一呼吸おいて人の話に耳を傾けないと、チャンスを逃してしまいます。自分のことを話すばかりでは、自分の知識に新しいものは何も加わりません。繰り返しになりますが、あなたは自分自身についてなら、すでによくしっています。

 


「私が考える優れた聞き手とは、他の人の経験や考えに喜んで耳を傾け、相手の視点を認められる人です。」

 


相手の話をすべて受け止めた方が、もっと的確な反応ができます。

 


あまりにも会話に夢中になって我を忘れてしまい、時間の感覚を失ってしまったことが。どの会話だって、そうできるのです。

 


「もし相手に対して『自分の役に立たない』とか、『話を聞いている時間がもったいない』、『つまらない』などと思っていれば、どんなにうなずき、言葉を言い換え、相手の目をしっかり見ていても、嘘だとバレて交渉が失敗するでしょう」

 


では、どんな姿勢でいるべきでしょうか。「それは、好奇心を持つことです」

 


「バカはそっちだ」と言いたい衝動を抑えるには、怒りに満ち、いらだち、警戒するのではなく、落ち着き、オープンで、好奇心に満ちた心を持つように、自分に言い聞かせるのです。

 


自分と意見が合わない人に、敵のように反応したいと感じたその瞬間に、深呼吸して相手に質問しましょう。

 


「聴くこと」は、想像工夫の原動力です。聴くことなしに欲求を理解し、問題を察知するのは無理な話ですし、完成度の高い解決法を生み出すなど、なおさらできません。

 


「私が学んだ聴くことの真の秘訣は、自分のことはどうでもいいということです。私は、目の前に空のコップを差し出しています。相手には、私のコップを満たして欲しいのです。彼らのコップは空のままで」

 


聞くことができない人のおおもとの原因は、不安感なのだそうです。

 


面白さとは、正直さ、親密さ、親しさから生まれる副産物なのです。

 


自分の恐怖心や感受性のせいで人の話をきちんと聞けなくなったときに、自分で認識するのです。

 


認知的複雑性は、さまざまな考え方を許容する、関連づける、新しいアイデアを思いつく、といった大切な能力です。内なる対話はこの力を伸ばし、その基盤となります。

 


「ずらす対応」で、動揺している人や悲嘆に暮れている人の話を聞いたとき、自分が相手の感情を苦痛に感じてしまうために、その問題を解決してあげようとしたり、安心させようと説得してしまう時に起こるのです。

 


しかし、他の人の問題を知ったからといって、あなたがそれを解決しなければならないわけではありません。あなたに解決してほしいだなんて思っていません。ただ、壁打ち相手が欲しいだけです。

 


相手の状況を「感じとる」のが、深く聞くこと

 


「人はいつも、自分が何者かを話してくるんだ」

 


常に自分を売り込みたいと必死になると、人は表現が大袈裟になりがちです。そうすると、会話のレベルは下がり、皮肉な態度を助長します。

 


たいした実績がない人ほど自慢したがる。

 


こういった人たちの会話は自己中心的ですが、それは嫌な奴だからというより、根深い自信のなさや、不安、弱みのあらわれであることが多いものです。

 


「自分が間違っているかもしれないと認めるのは簡単だ。しかし、自分が好きなものや嫌いなものを間違えているはずはない。」と書いています。ということは、相手に、自分についてどう感じるかを変えて欲しいと説得するよりも、自分をどう感じているのかに耳を傾けた方がいいですね。愛情を、議論と説得で勝ち取るなどできません。きずなを築くのに一番確実な方法は、相手の話に心から耳を傾けることです。

 


優れた聞き手は、相手が自分の内なる声を見つけるのを助けようと、時間をかけて手をつくします。そしてその過程で、親密になり、理解を深められます。

 


相手に注意を向け続ける才能がある人も、努力でそれを成し遂げる人もいます。どちらのタイプであれ、聞き手が注意を向け続ければ、人は心の内を打ち明けてくれるでしょう。

 


明確な許可がないなら、その情報を勝手に教える立場にありません。

 


「これまで私が最も称賛されたと感じたのは、ある人が私の考えを尋ね、その答えにじっと耳を傾けたときでした。」ルソー