ニーチェの言葉
ニーチェの言葉
自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、人間として尊敬するんだ。
自分の評判など気にするな。誰だって、他人からどう思われているか知りたいものだ。よく思われていたいし、少しは立派だと思われたいものだし、大切な人間の部類に入れて欲しいものだ。だからといって、自分への評価を気にするばかりに、聞き耳を立てるのはよくない。なぜなら、人間というのは間違った評価をされるのが普通のことだからだ。自分が思うようにら評価してくれることなんてほとんどない。だから腹を立てないためには、他人がどう思っているかなんてことに関心を向けては絶対にならない。
始めるから始まる
すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。
批判という風を入れよ
批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。だから批判は、どんどん聞いた方がいい。
人のことをあれこれ考えすぎないこと
他人をあれこれ判断しないこと。他人の値踏みもしないこと。人の噂話もしないこと。あの人はどうのこうのといつまでも考えないこと。そのような想像や考えをできるだけ少なくすること。こういう点に、良き人間性のしるしがある。
人の高さを見る眼を
他人を見るときは、その人の高さをみるように。その人の低劣な面や表面上のことばかり見えるのなら、自分がとても良くない状態になっている証拠だ。それは、誰かの低さばかり見ることによって、自分が愚かで努力していないことに目をつむり、自分はああいう人間よりは高いのだと思いたがっていることになるからだ。
恋人が欲しいと思っているのなら
いい人が現れるのを待ち望んでいるのかい?恋人が欲しいだって?自分を深く愛してくれる人が欲しいって?それは、思い上がりの最たるものじゃないか!多くの人から好かれるほど、君はいい人間になろうとしているかい?自分を愛してくれるのはたった1人だけでいいって?その1人は多くの人の中にいるんだぜ。それなのに、みんなから好かれるようにならない自分を誰が愛してくれるというんだ?おいおい、わかってんのかな?君は最初からめちゃくちゃな注文をしてるんだぜ?
より多くの愛を欲しがる自惚れ
男と女がどちらも、もっと愛されなくてはならないのは自分のほうだと思っていると、二人の間で滑稽な喧嘩や面倒な問題が生まれてくる。つまり2人とも、自分の方がすぐれているからより多く愛される価値があるとうぬぼれに浸っているのだ。
最大の自惚れ
最大の自惚れとはなにか?愛されたいという欲求だ。そこには、自分は愛される価値があるのだという声高な主張がある。そういう人は、自分を他の人々よりも高い場所にいる特別な存在だと思っている。自分だけは特別に評価される資格があると思っている差別主義者だ。
最短の道は現実が教えてくれる
数学では、最短の道は始点と終点。直線で結んだ道だと教えてくれる。しかし、現実における最短の道はそうではない。昔の船乗りはこう教えてくれる。「最も都合よく吹いてきた風が、船の帆を膨らませて導かれた航路が最短の道だ」と。
これこそ、実際に物事を成し遂げようとする場合に通用する最短の道理論だ。頭で立てた計画通りに物事は運ばない。現実の何かが、遠い道を最も近い道にしてくれる。それが何かは前もってわからず、現実に踏み出したときにようやくわかってくるのだ。
よく考えるために
きちんと考える人になりたいのであれば、最低でも次の3条件が必要になる。
・人づきあいをすること。
・書物を読むこと。
・情熱を持つこと。
これらのうちのどの一つをも欠いても、まともに考えることはできないのだから。
絶えず進んでいく
「どこから来たか」ではなく、「どこへ行くか」が最も重要であることだ。栄誉は、その点から与えられる。過去にしがみついたり、下にいる人間と見比べて自分を褒めたりするな。夢を楽しそうに語るだけで何もしなかったり、そこそこの現状に満足してとどまったりするな。絶えず進め。より遠くへ。より高みを目指せ。
自分しか証人のいない試練
自分を試練にかけよう。人知れず、自分しかいない試練に。たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。たとえば独りの場合でも行儀良く振る舞う。そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。