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ソクラテスの弁明

ソクラテスの弁明

君たちはお金ができる限り手に入ることには気を使い、そして、評判や名誉には気を使っても、知恵や真実には気を使わず、魂を出来るだけ優れたものにすることにも気を使わず心配もしないで、恥ずかしくはないのか

 


幸福であるためには、何が自分にとって善であるかを知っていなければならないのです。これが知恵や真実に気を使うと言うことの意味であり、この意味での善悪の知が魂を優れたものにするのです。

 


幸福について言えば、人から幸福だと思われたらそれでいいかといえばそうではないでしょう。実際に幸福でなければ意味はないからです。

 


幸福とは何か、高学歴や高収入というようなことよりも、もっと人間にとって大切なことがあるのではないかというようなことを考えず、教育がただ知識を与えるためだけのものであれば、「人間教育」ができるかは考えなければなりません。

 


「私は事実たしかに知らないのだから知らないと思っている。だから、このちょっとしたことで、つまり知らないことは知らないと思っている点で、私の方が知恵があるようだ。」

 


ソクラテスは最初は他のことについての話から始まっても、最後はどんな生き方をしてきて、今どんな生き方をしているかという話になります。そして、どれだけ知識を持っていても、実はこのようなことについては無知であることが明らかにされるのです。

 


ソクラテスは正しい生き方をしているかどうかを十分に吟味しようとするなら、その相手が三つの条件、知識、好意、率直さ、を備えていなければならないと言っている

 


もっとも大切にしなければならないことは、ただ生きることではなく、善く生きることである。

 


「自分自身に気を使い、それより先に自分自身に付属するものに気を使うべきではない」とソクラテスが言っていることからわかります。魂というのは自分自身であり、お金、評判、名誉らは自分自身ではなく自分自身に付属するものです。自分自身を失えば、お金、評判、名誉がどれほどあっても意味がないということです。

 


「もしも君たちが私に従うのなら、ソクラテスのことはあまり気にしないで、それよりもずっと真理の方を気にかけ、もしも私が真実を語っていると思えたら同意し、さもなければ、あらゆる議論で反対してくれてたまえ」