THINK AGAIN
THINK AGAIN
変化の激しい時代を生きるために、必要なのは「考え直す、学びほぐす(知識をリセットし、学び直す)」能力だ
偉大な大統領を際立たせているのは、「知的好奇心」と「寛容さ」だ。
メタ認知とは、自分自身の思考や認知についての思考、すなわち、自分の思考や行動を客観的に捉える能力
自分のことを面白いと言っている人の言うことは、本当に面白いだろうか?
自信と謙虚さの均衡を保つことが焦点となる
「謙虚さ」とは、しっかりした知識や能力、つまり自分の過ちや不確実さを認識する力
将来の目標に達するのに十分な能力が備わっていると自信を持ちながら、そのための正しい手段は何かと現在の自分に問う謙虚さを持つことは可能だ。そう、それが最適な自信レベルである。
したがって、私たちが手に入れるべきは、バランスの取れた自信と謙虚さだ。つまり、自己の能力を信じながら、自分の解決方法が正しくない可能性、あるいは問題自体を正しく理解していない可能性を認めること。そこから疑問が生まれれば、既存の知識を再評価するようになり、ほどほどの自信があれば、新しい見識を追い求めることができる。
自信に満ちた謙虚さ
偉大な思想家は、自分がどれだけ知っているかを自慢しない。むしろ、どれだけ知らないかに驚嘆する。
生涯学び続ける者の美点とは、出会う人の一人ひとりから何かを学び得ることを知っていることだ。
自分が間違いだとわかって、心の底から嬉しく思うよ。私の間違いが、一つ減ったのだから。
自分が何かを学び得たかどうか知る唯一の方法は、自分の過ちを発見することだ。
自分の過ちを素直に喜べるようになるには、固執を分離しなければならない。
現在の自分を過去の自分から分離する。
自分の意見や考えを自分のアイデンティティから分離する。
自分は誰なのか、アイデンティティを問うとき、あなたの信念ではなく、価値観に基づいて自分を定義するべきだ。価値観とは、人生の中核となる原理である。それは優秀で寛容であることかもしれないし、自由で公正であることかもしれない。または安全・安心で誠実であることかもしれない。このような価値観を自分のアイデンティティの基底におけば、柔軟な心を持ち、視野を広げるための最善の方法を喜んで受け入れるはずだ。
人は、自分に自信が持てない時、他者を笑う者だが、自分の間違いを恐れていなければ、臆することなく自分を笑い飛ばすことができる。自分自身を笑うことで、真剣な決断を下す時でも、少し肩の力を抜いてもいいのだと、思いつめる必要はないのだと自分に言い聞かせることができる。ある調査によると、自分自身を笑うことが多い人ほど、自分は幸せだと感じているそうだ。自分を責めるより、過去の自分の勘違いを現在の笑いのタネにするほうがずっといい。
「多くの正しい判断が出来る人は、よく耳を傾け、よく自分の考えを変える人だ」
一流の交渉は自分の主張の根拠を、ごく少数しか提示しない
一流の交渉人の共通点は、合意点を挙げて聴衆の関心を引くことや、攻撃・反撃の悪循環を回避することだけではない。ハリシュは、相手を圧倒しないよう、慎重にアプローチしている。
無知を回避するには『アンラーニング(既存の知識や習慣を捨てること)』が重要
動機付け面接は、三つの技術から成る。
・聞かれた質問を投げかける
・聞き返しを行う
・変わろうとする意思や能力を是認する
動機付け面接を行うときは、相手の自由意志を守るために、指示や助言を行うのではなく、本人が変わりたい方向を見出せるように質問をしてみる。
相手の心を開かせるのに最も効果的なのは、耳を傾けることだ。
親身に、公平な態度でじっと耳を傾ける人と対話することで、人々の不安は軽減され、自己防衛が緩和されることが、複数の実験で明らかになっている。
バイナリー・バイアスとは、複雑に関連した事象を二つのカテゴリーに分けることで単純化しようとすること
良い教育者とは「新たな思想、見解」を教えてくれる人であるが、偉大な教育者とは「新しい考え方」を教えてくれる人だと信じている。
教育というのは、私たちが生涯にわたり草案を何度も書き直す習慣を築くこと、そして生涯にわたり学び続ける能力を培うことなのだ。
自分たちは発展途上にあるのだと認めるには、謙虚さを忘れない自信が必要だ。つまり、自分の有能さを誇示するよりも、自分を改善しようとする意欲や向上心が大切だ。
自分自身を職業によって定義すべきではない。職業とは一種の行為であると学んだ方が、子供たちは幸せになれるだろう。仕事は自分達の行動であり、自分自身ではないことをきちんと理解していれば、子供は視野をより広げて、さまざまな可能性を探るように成る。
過去2年間の進歩が無駄になったとしても、それからの20年間を後悔しながら生きるよりもずっとマジではないか?
行動を変えた学生は幸福度が高まり、その状態が継続した。
キャリアにおいては、最大の幸福感を得られる仕事を探すより、最も学びを得ることが多い仕事や、最も貢献できる仕事を追求する方が充実した人生を送れる、と思っている。
情熱はたいてい、「発見するもの」ではなく「発達させていくもの」だ。
幸福はゴールというよりも、むしろ熟達と意義から副産物的に得られたものではないか