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7つの習慣

7つの習慣

 

 

 

 


他者や物事が自分の思い通りにならないからといって被害者意識を持つなど、内的な依存心ではなく、外的な要因に依存しているからだ

 


辛抱強く待つのは簡単なことではない。主体的になり、自分の影響の影響の輪の中で努力するには高い人格が要る。根が土中にしっかりついているか見たいからといって花を引っこ抜くようなまねをせず、相手が成長するのをじっと待たなくてはならない。

 


人の内面は脆く傷つきやすい。年齢や経験を重ねても同じだと思う。外側はどんなに固い殻で覆われていても、内側には痛みを感じやすい柔らかな心があるのだ。

 


「あなたと私とでは、この問題に対する見方が違うようだ。よく話し合って、お互いに満足する道を探しませんか?」

 


反応できてな人は、愛を感情としかとらえない。彼らは感情に流されるからだ。愛とは、愛するという行為によって実現される価値である。

 


第一、第二、第三の習慣(私的成功の習慣)に対して「変化の扉」を開くことによって、あなたの自信は目に見えて増すだろう。自分自身を深く知り、自分の本質、内面の奥深くにある価値観、自分にしかできない貢献にはっきりと気づくだろう。自分の価値観に従って生活すれば、あるべき自分を意識し、誠実、自制心、内面から導かれる感覚を得て、充実し平安な気持ちに満たされる。他者の意見や他者との比較からではなく、自分の内面から自分自身を定義できる。正しいか間違っているかは他者が決めるのではなく、自分で判断できるようになるのである。

逆説的だが、周りからどう見られているかが気にならなくなると、他者の世界観、彼らとの関係を大切にできるようになる。他者の弱さに振り回されることがなくなる。さらに、自分の心の奥底に揺るぎない核ができるからこそ、自分を変えようという意欲が生まれ、実際に変わることができるのである。

 


カップルがお互いの関係を維持するための努力はせず、相手のしてほしいこと(黄金の卵)ばかりを要求していたら、相手を思いやる気持ちはなくなり、深い人間関係に不可欠なさりげない親切や気配りをおろそかにすることになるだろう。そうすればガチョウは日に日に弱っていくのである。

 


最大の困難を克服したいなら、自分が求める結果を支配している原則や自然の法則を知り、それを適用する

 

謙虚な人は自分が置かれた状況を受け入れ、勇気ある人は、主体的に困難に取り組み、創造的に克服していく。

 

第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)に恵まれていても、第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)を欠いている人は多い。人格こそが第一の偉大さである。

 

パラダイム=見方
物事をどう認識し、理解し、解釈していくかである。

 

見方=あり方あり方は見方に直結するのであり、どう見るかとどうあるかは強い相関関係で結ばれている。

 

自分の人格の欠点を補うために地位や権威の力を借りた。

しかし、力を借りることは、人を弱くする。物事を遂げるのに外の力に頼る癖がついてるから。体格、地位、権限、資格、ステータスシンボル、容姿、過去の実績、そうした力の源泉が変化したら、あるいは失ってしまったら、果たしてどうなるだろうか?

 


インサイド・アウト

内から外へのアプローチによって、個人の成長、効果的な人間関係を実現しようという思考。

自分自身の内面から始めるという意味である。内面のもっとも奥深くにあるパラダイム、人格、動機を見つめることから始める。

 


決定的な解決策、永続的な幸福と成功が外から内に(アウトサイド・イン)もたらされた例は一つもない。

 


習慣の定義

知識、スキル、意欲

知識=何をするのか、なぜそれをするのか

スキル=どうやってするのか

意欲=それをしたいという気持ちが必要

 


真に自立すれば、周りの状況に左右されず、自分から働きかけることができる。

 


P/PCバランス

Pは成果(production)すなわち望む結果を意味し、PCは成果を生み出す能力(production capability )

 


自分のPCの向上に投資しなければ、収入を得る手段の選択肢はずいぶんと狭まる。

 


正しいか間違っているかは他者が決めるのではなく、自分が決める

 


相手がどういう人間なのか客観的に述べているのではなく、自分の関心ごとや人格的な弱さを通して見ている。自分自身を相手に投影しているのである。

 


何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができる

自分自身の身に起こること、すなわち受ける刺激と、それに対する反応には、反応を選択する自由もしくは能力がある。

 


自覚 自分自身を客観的に見つめる能力だ

想像 現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力

良心 心の奥底で善悪を区別し、自分の考えと行動がその原則と一致しているか判断する能力

意志 他の様々な影響に縛られず、自分に基づいて行動する能力

 


私たちの行動は、周りの状況ではなく、自分自身の決定と選択の結果である。

 


自分から投げ捨てさえしなければ、誰も私たちの自尊心を奪うことはできない

 


私たちは自分の身に起きたことで傷つくのではなく、その出来事に対する自分の反応で傷ついている。

 


人生で体験することにどう反応するかがもっとも大切。パラダイムシフトは、困難に直面した時こそ起きる。厳しい状況に置かれると、人は全く新しい視点から世界を眺める。

 


もっと良い仕事につきたいなら、関心のある職業の適性検査を受け、その業界の動向を調べ、さらに入りたい会社の問題点を探り解決策を考え、その問題を解決する能力が自分にはあるとプレゼンする。これはソリューション・セリングといい、ビジネスで成功するための重要なパラダイムである。

 


RとIを使いなさい

(Rはresourcefulness =知恵 Iはinitiative =率先力)

 


行動を起こすのはあなたの責任である。周りが動くのを待っていたら、あなたは周りから動かされるだけの人間になってしまう。

 

 

 

 

 

反応的な人は自分には責任がない、自分の反応を選ぶことはできないと言っている。

 


過去の出来事を悔いてばかりいる人にとって、主体的であるために必要なのは、過去の間違いは影響の輪の外にあることに気づくことだ。過ぎてしまったことを呼び戻すことはできないし、やり直すこともできない。また、生じた結果をコントロールすることなどできない。

 


主体的なアプローチは、間違いをすぐに認めて正し、そこから教訓を学ぶ。だから失敗が成功につながる。

 


他者の欠点や弱点を批判的な目で見るのをやめて、慈しみ深い目で見る。

障害は不便ではあるが不幸ではないbyヘレンケラー

 


「満足は心の中に湧くものでなければならない。人間の本質を知らないものは、自分自身の人格以外のなにかを変えて幸福を求めようとするが、そのような努力は実を結ぶはずがなく、逃れたいと思う悲しみを大きくするだけである。」

 


「我々の後ろにあるもの(過去)と我々の前にあるもの(未来)は、我々の内にあるものに比べれば取るに足らないものである。

 


ビジネスを成功させたいなら、何を達成したいのか明確にしなければならない。最初の段階で終わりをどこまで思い描けるかが、ビジネスの成功と失敗の分かれ道になる。

 


すべてのものは二度作られる

 


その刑務所で真の成功とは何かを知ったからだ。

真の成功とは物を所有することではない、真の成功とは自分を制し、自分自身に勝つことだと悟った!

 


仕事はまたある。でも子ども時代はまたとない

 


彼女の短所に腹を立て、なじってばかりいたら、私の批判的な態度は、自分の短所を正当化するだけである。相手に改めて欲しい短所より、それを責めてばかりいる私の態度の方が問題なのだ。そんな態度でいたら、状況を好転させる力はみるみるしぼんでいく。

私が本当に状況を良くしたいのであれば、自分が直接コントロールできることに働きかけるしかない。彼女を正そうとするのをやめて、自分の欠点を直す。最高の彼氏になり、無条件に彼女を愛し、支えることだけを考える。

 


「究極的に、我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が人生に問われているのだと理解すべきである。一言で言えば、すべての人は人生に問われている。自分の人生に答えることで答えを見出し、人生の責任を引き受けることで責任を果たすことしかできない。」

自分の人生とは何か?と考えるんじゃなくて、人生が俺にどんな答えを選択するのかと問いている。前者は人生が運命を決めるから受け身の考え方だが、後者は自分で人生を選択し創ることができる。主体的な考えだ。おれ

 


あともう少ししか生きられないとしたら、人の悪口を言ったり、嫉妬したり、責めたりすることの虚しさがわかる。

 


自分の人生にとって1番大切なことは何か、どのような人間になりたいのか、本当にやりたいことは何かを真剣に考え、本気で知ろうとした人は皆、必ず敬虔な気持ちになる。

 


イメージトレーニングをすることで、実際にやってみる前に、それを頭の中で見て、感じて、経験しているのである。それを何度も、しつこいくらいに繰り返すことで、緊張せずに平常心でいられる。

 


誠実さとは、基本的には自分自身にどれだけ価値を置いているかということだ。自分に約束し、それを守る能力、「言行一致」のことである。自分を大切にし、自分を裏切らないことである。誠実さは人格主義の根本をなし、主体的な人間として成長するために欠かせないものである。

 


Win-winを目指す人は、優しさと同時に厳しさを持ち合わせている。win-loseタイプの人よりも二倍も厳しいのである。優しさだけでwin-winの結果に到達することはできない。相手の身になって考えるだけでなく、自信を持って自分の考えを述べなくてはならないのだ。思いやりを持ち、相手の気持ちを敏感に察することも大事だが、勇敢であることも求められるのである。勇気と思いやりのバランスをとることが本当の意味での成熟であり、win-winの前提条件なのである。

 


豊かさマインド

ほとんどの人は、欠乏マインドに深く脚本づけられている。パイはたったの一個しかなく、誰かがひと切れ食べてしまったら、自分の取り分が減ってしまうと考える。物事はすべて限りがあると思い、人生はゼロサム・ゲームと捉える考えである。欠乏マインドのままでは、手柄を独り占めし、名誉や評判、権力もしくは、利益をサポートしてくれた人とさえ分かち合おうとしない。だから、自分以外の人間の成功は喜べない。同僚や親しい友人、家族の成功さえも素直に祝福できない。誰かが褒められたり、思いがけない利益を得たり、大きな成果を出すと、まるで自分が損をしたような気分になるのだ。

それに対して、豊かさマインドは、内面の奥にある自尊心と心の安定から湧き出るものである。この世には全てのものが全員に行き渡ってもあまりあるほどたっぷりある、と考えるパラダイムである。だから、名誉も評判も、何かを決定するプロセスも、人と分かち合うことができる。こうして可能性、選択、創造力の扉が開かれるのだ。

 


信頼し合っていれば、心は開ける。お互いの手の内をさらけ出せる。たとえ私とあなたが一枚の違う絵を違った見方をしていても、お互い信頼していれば、あれは若い女性だという私の意見にあなたが耳を傾けてくれることを知っているし、あなたが、いや違う、あれは老婆だと主張すれば、私が真剣に取り合うことをわかっている。私たちは、お互いの見方をきちんと理解し、力を合わせて別の答えを探そうとする。どちらも満足でき、どちらにとっても良い第3の案を見つけようというと意思がある。

 


しかし信頼口座の残高がたくさんあれば、相手は信頼して、あなたはなるべく手出ししないだろう。本人が本人を評価する方が、他人が本人を評価するよりもずっと人間性を尊重しているし、本人も精神的に成長する。信頼関係さえできていれば、自分で評価する方がはるかに正確である。

まなかの外の成果だけに俺は、焦点を当てていた、その中身について評価していなかった。

 


著者がこれまでに人間関係について学んだもっと重要な原則を一言で言うなら、「まずは理解に徹し、そして理解される 」ということだ。

 


誰とでも他者とうまく付き合い、影響を与えたいと思うなら、まずその人を理解しなければならない。

 


共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聞くことであり、相手の身になって聴くことである。共感とは、相手の視点に立ってみることである。相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることである。それによって、相手のパラダイム、相手の気持ちを理解する。

 


誰しも心理的な空気を必要としている。この大きな欲求こそが、人と人とのあらゆるコミュニケーションで大きな鍵を握っているのである。

 


共感して聴くスキルの第二段階は相手の言葉を自分の言葉に置き換えること。

第三段階は相手の気持ちを言葉にする。そして第四段階は二つを組み合わせたもの。

例 学校に行きたくなくて、なんだかイライラしているようだね」

 


「私はこの本を読んで、共感して聴くことを知った。そしてあなたとの関係について考えてみて、今まであなたの話を本当の意味で聴いていなかったことに気づいた。でも、これからはあなたの身になって話を聞きたい。簡単にできることではないだろう。うまくできないこともあるかもしれない。でも頑張ってみようと思う。私はあなたのことを大切に思っている。だからあなたを理解したい。あなたにも協力してほしい」

 


今度誰かと話をするとき、自分の自叙伝を持ち出すのはやめて、その人を本気で理解する努力をしてみる。

 


自分とは違うものの見方、考え方を知ることこそが人間関係がもたらす利点である

 


違いを尊重する

違いを尊重することがシナジーの本質である。人間は一人ひとり、知的、感情的、心理的にも違っている。そして違いを尊重できるようになるためには、誰もが世の中をあるがままに見ているのではなく、「自分のあるがまま」を見ているのだということに気づかなくてはならない。

 


探求に終わりはない。すべての探求の最後は初めに戻ることであり、その場所を初めて知ることである。