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21 lessons 要約抜粋

21 lessons

 

 

 

難題である。データの所有をどう規制するかという問題に注意を向けるべきである。これこそおそらく、私たちの時代の最も重要な政治的疑問だろう。早々にこの疑問に答えなければ、私たちの社会政治制度は崩壊しかねない。

人々はすでに来るべき大変動に感づいている。だから世界中の人々が自由主義の物語への信頼を失いかけているのかもしれない。

 


民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。

 


人々が本当に必要としているのは、自分自身の経験と接触するツールなのかもしれない。

彼らは自分自身がどう感じているのかには、ほとんど注意を払わない。それどころか、彼らがどう感じるかは、オンラインの反応によってしだいに決まるようになっている。例 インスタ

 


政治家にする4つの質問

1、核戦争の危険を減らすためにどんな行動を取るか

2、気候変動の危険を減らすためにどんな行動をとるか

3、AIや生物工学ののような破壊的技術を規制するためにどんな行動をとるか

4、2040年の世界をどうみているか?あなたの考えている最悪な筋書きはどんなものか?また最善な筋書きは、どのように思い描いているのか?

 


移民の問題

1つ・地元の人が不賛成なら移民の受け入れの強制はやめるべきだ。しかし、死を免れるために逃げてくる難民には国境を開く義務がある。

2つ・外国人に対する義務も依然として負っているということに気づくべきだ。

私たちはグローバルな世界に生きており、好き嫌いに関わらず、私たちの生活は地球の裏側の人々の生活と固く結びついている。彼らは私たちの食料を生産し、私たちの石油の価格のために行われる戦争で命を落としているかもしれない。彼らがはるか彼方に暮らしているというだけで、倫理的責任を無視するべきではない。

 


人間は社会的な生き物であり、そこため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存しているからだ。だから幸せになるためには、少なくとも家族や友人やコミュニティの仲間を気遣う必要がある。

 


他者を害したら、いつもはるかに直接的で短期的な形で自分も害することになる。この世のあらゆる暴力行為は誰かの心の中の暴力的な欲望から始まり、その欲望は他者の平静と幸福を損なう前に、本人の平静と幸福を損なう。人は誰かを殺害するよりずっと前に、怒りによって自分の心の平穏をすべて台無しにしている。

 


信頼できる情報が欲しければ、たっぷりお金を払うことだ。

例 ある怪しげな億万長者が『毎月30ドル払いますから、毎日1時間あなたを洗脳して、商品の偏見をあなたの頭の中にインストールさせてください』と言われれば普通なら断る。しかし『毎日1時間洗脳させてください、このサービスは無料で差し上げます。』だと何億人もの人が魅力に聞こえる。

 


自己の狭い定義を脱することが、21世紀における必須のサバイバルスキルとなってもおかしくない。

 


人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。

 


多くの教育の専門家は4つのCを教えるべきだと主張している。

『critical thinking 』(批判的思考)『communication 』(コミュニケーション)

『collaboration 』(協働)

『creativity 』(創造性)

 


なかでも最も重要なのは、変化に対処し、新しいことを学び、馴染みのない状況下でも心の安定を保つ能力だろう。

 


経済的ばかりでなく社会的にも存在価値を持ち続けるには、絶えず学習して自己改造する能力が必要だ

 


自分のオペレーティングシステムをもっとよく知るために必死に努力する必要がある。自分は何者か、そして、人生になにを望むかを知るために。すなわち『汝自身を知れ』

 


遺伝子や詩のような、何か実体のあるものを残せないなら、この世界をほんの少しでも良くできれば十分ではないか?

 


もしあなたが誰かに本当に恋をしていたら、人生の意味について悩むことなどけっしてない。

 


自分がカモにされたことは認めたがらない。その結果、ある信念のために犠牲を払えば払うほど、信じる気持ちが強くなる。(パブリック・コミットメント)

 


宇宙は私に意味など与えてくれない、私が宇宙に意味を与えるのだ

 


自由主義の物語も・私の人生の目的とは何か?

 


自己は私たちの心の複雑なメカニズムが絶えず作り出し、アップデートし、書き直す虚構の物語であることを認めることだ。

 


インスタなどは延々と時間をかけ、オンラインで粉飾を行って完璧な自己を構築し、自らの創作物にすっかり執着しているものだ。したがって、本当に自分を理解したければ、自分のインスタのアカウントや自己についての内なる物語と自分を同一視するべきではない。そうする代わりに、体と心の実際の流れに注意を払うべきだ。

 


あなたは思考や情動や物語を経験するが、それらを支配していないし、所有してもいないし、そのどれでもない。人々は『私は何者なのか?』と問い、物語を聞かされることを期待する。自分について真っ先に知っておく必要があるのは、あなたは物語ではないといことだ。

 


もし本当に気にかけていることがあれば、それに関連した組織に加わることだ。

 


これまでのところ私たちは、心がどのようにして脳から現れるのかは、全く説明できずにいる。何十億というニューロンが特定の電気信号を出すと痛みを感じ、別のパターンで電気信号を出すと愛を感じるのはどういうわけか?私たちは見当もついていない。

 


私たちが何者で、自分自身についてなにを知るべきかは、近い将来私たちに変わってアルゴリズムが決めることになるだろう。

 


あと数年あるいは数十年は、私たちにはまだ選択の余地が残っている。努力をすれば、私たちは自分が本当は何者なのかを、依然としてじっくり吟味することができる。